A.ランゲ&ゾーネの歴史・ストーリーについての前回記事のつづきです。
ランゲが祖国復興のために議員に提出した案が政府に承認されました。
それは、ランゲがザクセンのグラスヒュッテで15人の若者を見習工として雇い、3年内に育成し、独立させることを目指して、政府は資金をランゲに貸し付けるという内容でした。
ランゲは当時まだ28歳でしたが、復興のため自ら借金を負って、時計産業でザクセンを再興するべく努力しました。
ランゲが工房を開いた直後、師である義父が亡くなりました。
ランゲは、本来であれば義父の宮廷時計師の地位を引き継げたのに固辞したそうです。
その後、様々な改革・改善を行いつつ時計づくりを熱心に続け、見習工も次々と独立させて知識と利権を分け与え、ザクセン・グラスヒュッテは時計産業を通した発展の途を歩んでいきます。
そしてランゲは、35歳で町長に担がれ、これを無償で請け18年間務めました。
52歳の時、私費を投じて引退した時計師の老後対策のためのランゲ財団を創設しました。
そして60歳の時に亡くなりました。
このように、ランゲは、腕時計の製造を通して、祖国復興のために尽力しました。
ところが、第2次世界大戦の終戦前夜、A.ランゲ&ゾーネの本社社屋は空襲の直撃を受け破壊されます。
そして、ドイツ敗戦に伴い、東ドイツはソビエトに占領され、A.ランゲ&ゾーネは国有化され、消滅してしまいました。
その後、1990年に東西ドイツが統一されるも、東ドイツは衰退していました。
記念巡回展『ベルリンの壁崩壊及びドイツ再統一/佐世保市博物館島瀬美術センター
そこで、ウォルター・ランゲ(4代目)は、かつてA.ランゲがナポレオン戦争で衰退したザクセンの復興を果たしたように、再び、ザクセン・グラスヒュッテの人々に雇用を創出しようとA.ランゲ&ゾーネの再興を試みます。
(つづく)
※本記事は「ドイツ腕時計№3 ジャーマンウオッチバイブル」(シーズファクトリー・2015年)116頁(K.KITAMURA執筆)を参考にしています。