今回は、腕時計の「歴史・ストーリー」です。
特に欧州の機械式腕時計ブランドの歴史は古いものがたくさんあります。
世界最古の時計ブランドはブランパン(1735年創業)と言われています。
当時日本は江戸、8代将軍徳川吉宗(暴れん坊将軍のモデル)の時代です。
され、今回は、ドイツ最高峰・世界五代ブランドに数えられるA.LANGE&SÖHNE(A.ランゲ&ゾーネ)の 「歴史・ストーリー」をご紹介したいと思います。
ランゲ(フェルディナンド・アドルフ・ランゲ)は、1815年にドイツ・ザクセンで生まれました。
ランゲが生まれた1815年は、ナポレオン戦争が終結した年でした。
ナポレオン軍と共に戦っていたザクセンは人口の半分の犠牲者を出し、領土の5分の3を失ったほか、大陸封鎖令解除に伴い英国製品が大量流入し、基幹産業(毛織)も壊滅していました。
ランゲは、こうした波乱の時代に生まれ、そして、幼い頃に両親の離婚により孤児となり、母の知人(商人の家)に引き取られました。
その後、引き取った商人家には先見の明があったのでしょう、ランゲを1828年創立のドレスデン技術学校に入学させました。
そこでランゲは、友となった同級生の父親(後にランゲの師・義父となる。)が開いていた工房の見習いとなり、時計技術を身に付けていきました。
1837年、ランゲ22歳の時、修行のためフランスへ渡りました。
フランスは当時、「腕時計の進化を2世紀早めた」と称されるブレゲの功績によって時計先進国となっていたのです。
ランゲは、パリの一流時計師の中でも頭角を現し、また大学にも通って物理・科学・天文学を学び、その後、英国、スイスと渡って技術を修得し、26歳でドイツに戻りました。
そして祖国ドイツに戻り、ゼンパー・オーパー(州立歌劇場)の「5分時計」を、師と共に製作しました。
https://www.webchronos.net/blog/20651/
ランゲの師は、宮廷時計師に出世しましたし、ランゲは、師の娘と結婚し、師と工房の共同経営者になり、順風に生活を送っていました。
しかしその頃ザクセンは、かつて繁栄していた鉱脈も枯れ、英国製品の流入で失業者が増え、貧困の状態にありました。
ランゲ28歳の時、故郷を復興するため、自らが政府から融資を受けて工房を作り、若者の雇用を生み出すというプランを考案しました。
ランゲはそのプランを議員に働き掛けていきます。
(つづく)
※本記事は「ドイツ腕時計№3 ジャーマンウオッチバイブル」(シーズファクトリー・2015年)116頁(K.KITAMURA執筆)を参考にしています。