学生と社会人は違う
4月から晴れて新社会人になった人たち。社会に出ることに不安が大きいはずだ。
学生と社会人は違う。まずは「収入を得て経済的に自立すること」つまり「稼ぐ」ことが求められる。
ここでは、「稼ぐ」というのは、お金が循環している人の集団(経済社会)において、個人が他の個人に何らかの価値を提供し、その対価としてお金をもらうこと、と定義する。たとえば、会社の新入社員は会社と雇用契約をし、会社に労務を提供する対価として給料をもらう。社長や上司から与えられた仕事について成果を出す。
新社会人の中には「稼ぐ」という言葉自体に嫌悪感がある人もいるかもしれない。お金は汚いという教育、風潮があるので仕方ない。が、上記の意味から明らかなとおり、稼ぐことは悪いことではない。むしろ経済社会の一員として社会に貢献する上においてはきわめて正しい行いだ。
他人と関係を築く力
稼ぐという行為は、常に相手があることだ。他人に価値を提供するのだから、当たり前だ。いかに「すごいもの」を持っていても、「与える相手」がいないのでは、話にならない。平たく言えば、社内で干されたら仕事はこない。
新社会人に限らないが、稼ぐ上では、他人と関係を築いていく力が求められる。
最初は見ず知らず同士。信頼関係を築いていくのは並大抵のことではない。
人物を見極めることの重要性
他人と関係を築いていくには、時間・労力・お金という有限の資産を投資する必要がある。
これらのリソースが有限であることは、人はいつか死ぬことと、体が一つしかないことから明らかだ。
したがって、相手が投資を試みる価値のある人物かどうか、感性を研ぎ澄ませて見極めなければならない。
リソースを投資した結果、思ったほどの人物でなかったというならまだしも、不利益を与えられるような結果は避けなければならない。
相手は利する、でも自分が損をするという関係を結ばされているようでは、要するに「食い物」にされているのであり、経済社会で自立して生きていくことはできない。信頼できない相手と関わっているようでは大体そういう目に遭う。
人物を見極めるちから
見ず知らずの相手を最初に分析する材料は「外見」しかない。
髪型、顔つき、体格などの身体的特徴はもちろん、当然、身に着けている物にも注意を払うだろう。
余談だが、おれおれ詐欺の受け子が、スーツなのに髪が明るいとか、学生っぽいチープな鞄を持っているとか、ネクタイなどの着こなしに違和感があって、職務質問されて犯罪が未然に発覚したという事例もあったそうだ。
これは極端な例かもしれないが、結局、人は見た目である程度判断ができる場合がある。
社会での経験を積めば積むほど、たくさんの見知らぬ人に会うことになる。人の見た目を分析する機会が増えれば、経験も蓄積され、その感覚が研ぎ澄まされていく。年配になればなるほど、見た目で判断している節がある(その判断が正しいものかどうかは別として)。
外見からして「何だかダメそうだな」(=こいつに自分の貴重なリソースを投資する価値はないな)と判断した場合は、社交辞令のあいさつ程度で済ませて、それ以上に深く人間的な関わりを持とうとは考えないものだ。
逆に言えば、「何だかなあ」という評価を一度でも受けてしまうと、それを挽回するのは至難の業と言える。学生だったら、たとえば同じクラスで毎日顔を合わせたり、何かのイベントで共同作業をしたりして、「あれ意外といいやつじゃん」となる機会が与えられているが、自立して稼いでいくことが要求される経済社会では、みな自分のことで一杯いっぱいで、よく分からない他人に構っているほど暇ではなく、基本的にそういうことは期待しないほうがいい。
新社会人がわきまえるべきこと
外見なんてどうてもいいんだよ、中身が大事なんだよ、仕事ができればいいんだよ、、、と言うのは、そういう場合もあるので、否定はしない。
しかし、基本的には、人はそんなに他人に優しくないと思っておいた方がいい。なぜなら、中身を分析しようと思えば、その人と関わる必要がある。そのためには、多かれ少なかれ、その相手のために貴重なリソースを投資しなければならないからだ。自分の判断基準のもと、こいつは外見からしてダメだろうなという推定が働いているのに、なおそこにリソースを投資してくれるのは、すでに自分は満たされており、人材発掘のためにリスクを取りたい人か(もしかしたらこいつは大成するかもしれないと)、あるいは自らの有限のリソースを大切にしない人の、どちらかだろう。後者は、他人のリソースも重要と認識せず、それらを無邪気に奪う傾向にあるので、なるべく公私ともに関わりたくない手の人間だ。
いずれにせよ、「外見を整えること」が新社会人にとって重要であることが理解できた人は、どういう外見にしたいか、そのために何をすればよいか考えてみよう。
外見は「人」と「物」で構成されている。
「人」の方は、たとえばスッキリした髪型にするとか、きちんと整髪料をつけるとか、髭を処理するとかして、清潔感を出すなどの措置が考えられる。
「物」の方は、きちんと身体に合ったスーツを着るとか、革靴を履くとか、社会人らしく見られるように一通り整えることになる。
逆に言えば、関係が築けた人との間では自分の個性を発揮するような外見を構成して構わないと思う。外見がどうであれ、「稼ぐ」という文脈の中で相互にウィンウィン(win-win)の関係だから、相互に文句はないだろう。「稼ぐ」という文脈において相手に求めるのは、究極的には「対価」であり、それ以上に何かを求めるのは押しつけだ。
しかし、新社会人は「知らない人しかいない世界」に飛び込むのだから、そのあたりを十分にわきまえなければならない。
したがって、まずは外見をしっかり整えて、人間関係のスタート地点に立たねばならない。
ようやく本題へ 新社会人の腕時計について
さて、前提が長かったが、いよいよ本題へ。
と言っても、そんなに大した話はない。とても簡単な話で「相手がどう評価するか」だけを基軸に考えればいい。
たとえば、Gショック。
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もちろん個性的でいい時計であることは誰も否定しない。
しかし、ジャケットでGショックはナシだよな、と考える人も一定数(大多数?)存在することもまた否定できない。
フォーマルなスタイルには、フォーマル用の時計があるのに、わざわざそこから「外し」て奇抜さを演出する必要はない。
いろいろ考えて、でも自分はGショックしかない!という強い意思があるのであれば、その意思を止めはしない。
問題は、何も考えず、とりあえず学生の頃から着けているGショックをそのまま着けていますが、何か問題でも?的なやつだ。
そういうやつは、大抵、人からどう見られるかということを気にしていない。他人の目線に立って物事を見ることができない。多角的に問題を分析できない。という推定が働くと言ったら大袈裟かもしれないが。
不適切な例を挙げればきりがないが、ほか、例えば、
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デカ厚・ダイバーズは、アウトドアや、プライベートでは楽しめる一本であることは誰も否定しない。
しかし、こんなバカでかいものをスーツで着けていたら、「おまえ、海でもいくの?」と嘲笑される可能性が否定できない。
じゃあ、どうすれば、、、色やサイズが目立たないもの、控えめなものを買っておけば失敗はない。
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この手の控えめな時計は、飽きがこないし、年齢問わず着けられる点もよいところ。新社会人は、お金がない中で時計に割ける予算は限られているはずだ。シンプルなものを一つ買っておけば、どんな場面でも使いまわせる。
社会人として年次を重ね、自分のキャリアが高まれば、腕時計のチョイスにおいても個性を出していくことができると思う。
が、スタート地点に立ったばかりで、まだ何の実績も持っていない新社会人は、とにかく外見で不利な評価を受けないように、控えめで、ジャケットにしっかり合う腕時計を選ぶことが大切だと思う。